「しない」ことで描く幸せ

2016年前半は、旅行で国際線に乗ったこともあり、私にしては比較的多くの新作映画を観たのだが、ダントツに幸福な気持ちになれた映画はリブート版『ゴーストバスターズ』だった。

(ちなみに鬱々とした映画は『ロブスター』な。アレほぼ現実だからな、私にとっては)

 

前作との比較や女性映画としての分析にもすごく興味があるので、今後ネットで感想を漁りまくる所存だが、この胸熱が冷めないうちに、「どうしてこんなに幸せになれるんだろう」という気持ちを綴っておきたい。

実は、「そんなこと描くんだ!」よりむしろ「そこ描かないんだ!」ということに感動してしまった。

 

1.恋愛しない

この作品の宣伝が始まった時、なんかこう、「仕事に恋に頑張るワタシ」みたいなのを想像してた(そういう映画も好きです)。

「地味なオタクだった私が、頑張ることでキレイになれました」「恋愛なんて興味なかったけど、わかってくれる男性もいる」みたいな。「いくつになっても、オンナであることを諦めちゃダメ」みたいな。伝わるだろうか、このカタカナ遣いも含めて。

 

だって日本版公式Twitterのプロフィールが「オトコには弱いけど、オバケには強い理系女子が起業した……」だよ。

そりゃ彼女たちが「オトコには弱い」だろうな、とは容易に想像できる。オトコどころか対人関係全般ダメそうだ。

非リア充として、彼女たちのスタイリング、すごい生々しいと思う。

地味な者(でもカワイイ物好きで、長靴なんかはカラフルなの履いちゃう)、あまり構わない者、世間一般の支持するところの斜め上に突き抜けてく者。

いずれも「モテ」からは遠い。私の服装歴見てたのか、と言いたい(※全部やって現在アビー)。

そうやって「見てわかる作り」になっているものの、この映画は彼女たちに恋愛コンプレックスを語らせない。今彼女たちが直面しているもの、考えていることは、それじゃないからだ。あとエリン、お前のそれただのセクハラオヤジだが、めっちゃ共感するぞ。

 

2.リア充にならない

 この映画の主要登場人物は何かしらのオタクばかりだが、色々な意味で多数派に迎合しない(できない)ゆえに、彼ら彼女らが受けてきた「いじめ」がストーリー全体の前提となっている。

同じように「世界」から弾かれていたローワンとそんなに変わらない状況下で生きてきたろうに、自然に「世界が危ないから救おう」と考えるバスターズと彼との違いってなんだろう。何か決定的な要因がありそうなのだが、少なくとも映画の中では、それも描かれない。

それもいいかと思う。迷子の小動物を救おうと奔走するオタクも、自らの承認欲求に苦しむオタクもいるし、この二つの感情は一人の人間の中に同居すると、私たちは現実世界を通して知っている。

オタクは、世界を滅ぼすパワーも救うパワーも持っている。その一方で、市長たちのように「表世界」でバランスをとる役だって必要だ。この映画は誰も否定しない。

 

3.人に要求しない

「否定しない」といえば男性秘書(?)のケヴィンだ。

ケヴィンの強烈過ぎるおバカキャラは、長年かけて築かれてきた「可愛いだけのブロンド娘」像に対抗するために必要だったのだろう。でも、彼はその役割のためだけにいるんじゃない。

ケヴィンの美点は、主人公たちを品定めしたり否定したりという発想を一切持たないところだ。この作品が発表されて以来、新生バスターズが女性であることや、彼女らの年齢・容姿へのバッシングが後を絶たないらしいが、そういう人たちの対極に彼はいる。

ゴースト・バスターズの面々やローワンは「キモヲタ」で彼は「イケメン」だが、自分や誰かを社会の価値観と比較してどうこう、という発想が誰よりも薄い(ていうか、ない)のがケヴィンだ。私だって他人を品定めするので自省も踏まえて言うが、これって、すごいことだ。バスターズが「大好きだからケヴィンを助けたいんだ」と言うのには、ちゃんと理由がある。

 

そう、人間には「好きになる」という力がある。

エリンもアビーもホルツマンもパティも、(下ネタも言うしセクハラもするけど)純粋な愛情に溢れた女の子たちだ。その対象がおバカでもいい。男性でなくたっていい。自分の子どもでなくたっていい。人間でなくたって、別にいい。

エリンの変化がそう教えてくれる。彼女の仕事や仲間への思いが高まるのに反比例して、自分の正しさを証明したい、社会に肯定して欲しいという思いが薄くなっていくのが見てとれる。最後に残るのは、ただ「やりたい」「やった」「できた」というシンプルな喜びだ。

やりたい仕事がある。下ネタ……もとい本音を交わせる仲間がいる。多分、それだけで十分幸せなのだ。ワンタンの数は譲れないけど。

 

幸せとは、自分の力を思いっきり注げる「何か」があること。

その「何か」を変に限定しようとする価値観を、自分がいかに内面化してしまっていたかを痛感している。

オンナだったら、恋するべきだ。

オタクだったら、リア充に引け目を感じるべきだ。

オトコだったら、常に女の上をいくべきだ。

安定した仕事に就き、誰からも肯定され、認められて生きるべきだ。

『ゴーストバスターズ』は、そういう窮屈から私を解放してくれる。

 

 

私は、女も男も、リア充もオタクも、否定したくない。恋愛することもしないことも、否定したくない。恋と仕事を両立するのはもちろん素敵だけど、しなくたっていいのだ。

他人の評価から自由になって、自分で選んだ「何か」を思いっきり愛することができたら、きっと幸せだ。ローワンですら、彼を蔑んでひそひそしていた周りの人たちよりずっと楽しそうに生きていたと私は思う。エンディングのクリヘムダンス、あれケヴィンじゃなくてローワンだもんね。

 

ただ、ローワンには「愛」が欠けていた。

登場人物のトラウマを過剰に描写しない、必要以上に自分語りさせないのもこの映画のいいところだが、最後の最後に「愛について」熱弁するのがホルツマン、ていうとこが痺れる。

そしてラストシーン、彼女たちへ「世界」からの心温まるプレゼントがあるのがまた粋だ。オトコにではなく、誰かに押し付けられた物差しにでもなく、でも確かに「世界」に向けられている彼女たちの愛情は、決して片思いじゃない。

 


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