優しい嘘

『Mr.ホームズ』は家の近くで上映していなかったため、朝から電車に乗って新宿に出向いた。

うらうらと、暖かい春の日だった。アパートを出たら、外で遊んでいた子どもたちが、手折ったたんぽぽをくれた。畑で働いていた人が、両手いっぱいに抱えるほどの菜の花を分けてくれた。急ぐ必要はなかったので、一旦家に戻り、コートを着たままたんぽぽをコップにさして、菜の花をゆでた。

ひどく、のんびりした気分になっていた。頭のどこかにいつもあるはずの苛立ちや焦りは、とろんとした眠気に包まれて、ずいぶんと遠く感じた。いつか年をとって、仕事や色々なことを辞めたらこんな感じかもしれないなと、ふと思う。

春眠暁を覚えず、という言葉をいつか習ったけれど、子供の頃は春に眠いと思ったことがなかった。田舎で育ったせいか、体はいつも周りの自然と連動していて、春になればうずうずと何かをしたくなり、夏には一層その気持ちがつのり、秋になるとすこし落ち着いて、冬はすぐに眠くなった。

動植物が息づくのに抗うように動きが鈍くなるのは、たぶん私の体が、生のピークに向かうのでなく、死に向かう下降線を辿り始めたからなのだ。

 

映画は、そんな春の日とつながっているかのようだった。

「ホームズ映画」といえば、薄暗い霧のベーカー街、キビキビと走り回る名探偵だが、『Mr.ホームズ』は、陽光と美しい花々に彩られている。私達の知るホームズには、そんなものは似合わなかったはずだ。それが、うっすらと悲しい。

みっちょんさんこと関矢悦子さんは、この映画を「ホームズ、ウメザキ、アンの三人が持っている『悲しみと喪失感と孤独』に対して、三者三様の安らぎ(救済)を得られるストーリー」と評された。

私達の知るホームズは、いつも人を救う側の人だった。その行為によって、彼は彼自身をも救っていた(仕事でも家事でも子育てでも、人の営みにはそういう側面があると私は信じる)。

でも、93歳の彼は体も頭も鈍っていて、もう、探偵として人を救うことはできない。名探偵という肩書はすでに虚しく、彼はただの「ホームズ」だ。そうなってしまった人間は、もう救われないのだろうか。人生の終わりに待っているものとは、悲しみと喪失感と孤独だけなのだろうか?

 

知性という武器を失ったホームズは、「新しいやり方」でウメザキを救おうとする。

そのやり方を使っていたのは、今はもういない相棒のワトスンだ。

ワトスンの書く物語はいつだって曖昧だ。真実という分子は、とろんとした嘘にくるまれて、時にかたちが見えなくなる。ホームズは、ワトスンのそんな姿勢を批判してきた。

ホームズだって上手に「嘘」を使うし、茶目っ気や気遣いがないわけではない。おそらく、自分が導き出した真実よりも、読者の興味や誰かを慮るための嘘を重んじる親友に、ちょっと拗ねてみせる気持ちもあったのだろう。『白面の兵士』という隠遁後のホームズ自ら筆を執った作品では、ホームズはそんな自分を少し反省しているようだ。

 

「じゃ自分で書いてみたまえ、ホームズ君」こう反撃されてペンはとったものの、書くとなるとやはりできるだけ読者に興味を与えるようにしなければならないということに、いまさら気のついたことを告白せざるを得ないのである。(『白面の兵士』延原謙訳)

 

実際の出来事を書く場合でも、読者を楽しませる形で表現する必要がある、と学ばされたのだ。それが避けられない条件だと気づくと、私はたった2作発表しただけでジョン風の物語を書くのはきらめ、あの親切な医者に短い手紙を送り、これまで彼が書いたものを揶揄したことに対して真摯な謝罪の念を表した。(『ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件』ミッチ・カリン作 駒月雅子訳)

 

かつて、アンの手袋をそっと隠したワトスンの「優しい嘘」。

それは、彼の気遣いが消沈した親友を相手に発揮されたものとみていいと思う。ワトスンの優しさとアンの孤独は、手袋の形をして、いつもホームズのそばにある。

逝ってしまった人は、不意に語りかけてくる。音楽や、遺品や、その人を知る誰かからの手紙の中に、その人はいる。

正確には、生きている私たちが、その人を思い描いているだけなのだ。でもいつか、本当に本当に救いが必要な時が来たら、正確であることがどれほどの意味を持つだろうか?アンのように、ウメザキのように、物語にすがるのは、いけないことだろうか?ホームズの追い求めていた真実と、アンが見つめていた彼女にとっての真実は、どこかでつながってはいないだろうか?

すべての真理をつかむには、私たちはあまりにも小さい。だから、頭と体の動く限り、追い求めるしかない。それぞれに与えられた環境で、それぞれにできるやり方で。

 

しかし、人は何かを深く追えば追うだけ、背後に置き去って遠く離れてしまったように思えるものを、強く求めるのかもしれない。ホームズにとって、それは「真実」と「嘘」だったのだろうか。ドイルにとってのそれは、何だったのだろうか。いま私が置き去りにしようとしているものは、何だろう。

原作と映画の結末は違う。その変更も、ホームズや私達の思いをとろりと包み込む、優しい嘘に思える。

焦りや怒り、失望や悲しみはこの世だけのもので、逝ってしまった人達は、とろりとした膜の向こうで微笑んでいる。そう信じて祈ることこそが、きっと、最大の「優しい嘘」だ。

 


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