福山雅治が結婚して、ショックを受けているファンと、そういうファンに対して「お前が福山と結婚できるわけでもないのに、どうしてショックを受けるんだ」と不思議がっている人がいるようだ。
私はショックだ。福山雅治だけでなく、誰が結婚するのも少しショックだ。
それは自分が結婚していないからで、宿題が終わっていないのに友達に「もう終わった」と言われるのと似たショックだ。人が終えていることを、自分はまだやっていない、という焦り。
しかし、宿題をしなくても死なないように、結婚しなくても死なない。
好きな人が結婚した時にショックなのは、その人が私の側の人じゃなくなるから、だと思う。
「どうしてショックを受けるんだ」と言う人は、人間を「独身側」と「既婚側」ではなく、「知人」と「他人」みたいなもっと小さなくくり、または更に小さく、個人単位で切り離して考えているのだろう。
そんな風に、論理的にものを考えられるのはすごくいいことだと思う。確かに、人を「独身側」と「既婚側」に分けるのはナンセンスだ。自分は結婚してるけど福山雅治が結婚するのはイヤ、という人だっているだろう。
一方、人の結婚を自分のことのように喜んだり悲しんだりできる人は、共感する力がある。それも素敵なことだ。
共感を持てるからこそできることも、客観を保てるからできることもある。
どちらの考えも、世の中に必要なはずだ。そして、二つの考えは同じ人の中に共存していて、かわるがわる顔を出す。
たとえば皆「いじめをなくそう」と言うが、人を憎む力と愛する力は同じ人から出ているわけで、誰かを嫌うことをやめてしまったら好きになることもできなくなってしまう気がする。
「いじめをなくす」というのは考えや行動を理性でコントロールする、ということであって、負の感情をなくす、ということではない。人の感情を強制的に変えることは、誰にもできない。
感情を捨てなくても、いじめをやめることはできる。同じように、誰かの結婚を寂しく思うということと、その人の幸せを願うということは両立する、と私は思う。
そんなこんなで、Cさん、ご結婚おめでとうございます。
花嫁姿があまりに綺麗で、すごく寂しくて、すこしショックです。
独身自虐ネタを連発している私からの「おめでとう」はそらぞらしく聞こえてしまうかもしれないなあ、と危惧した末、この際徹底的に本音を書いてみることにしました。
拙くとも本当の気持ちを記したブログを受け止めてくださったCさんだからこそ、下手な例えにも「しょうがないなあ」と笑ってくださる……と良いのですが。
ご自身と旦那様を幸せにしてあげてください。Cさんのお力を持ってすれば、それは簡単なことではないかと思うのです。
もしもいつか、それを難しいと感じてしまう時が来たら、会ったこともない私という人間の心を温めてくださった、その実績を思い出してください。
遠い場所で私がCさんの幸せを願っているという事実は、基本的には何の役にも立たないと思います。でも、ないよりはあったほうがいい、かもしれません。
晴れたらいいね、と皆が願っていた日が晴天だったら嬉しいように、私の願いも、Cさんの幸せをほんのすこしだけ彩ることができますように。