人形劇「シャーロックホームズ」は、ちゃんとホームズだ

人形劇「シャーロックホームズ」がすごく面白かった。

面白かった、だけでは終わらず、録画して何度も観てしまうほど、好きになった。

人形が演じ、学園ものに変換されているにも関わらず、「ちゃんとホームズ」だからではないか、と思う。

 

15歳の少年に設定された人形を「ちゃんとホームズ」と感じる理由を一言でいうと、「リア充じゃない」ことではないだろうか。リア充といってもさまざまな定義があるのだろうが、ここでは「コミュニケーション力があり、人付き合いに長けた」人物としておきたい。

私がホームズに出会ったのは、小学校の図書館だった。

同級生の大多数がケイドロやらドッジボールやらに興じる休み時間、一人で毒々しい表紙の本をめくっている小学生はなるほどリア充とは程遠いが、そういうことだけでもない。

一人で物語の世界に没頭する時、人は皆、社会生活から切り離される。一人ぼっちで、未知の世界に放り込まれる。だから、「非リア充」として物語の登場人物と出会う。自意識が確立していない子どもは、特にそうなのではないだろうか。クラスではジャイアンや出木杉くんの立場にいる子も、のび太に感情移入できる。

物語の世界の中にも、現実世界と同様にリア充も非リア充もいるが、ホームズとワトスンは絶対に「クラスの中心的存在」ではない。そこは、子どもの少ない社会経験においても重要なポイントだ。微妙なポジションで生きる子どもを、人形が人間以上に繊細に表現している。

 

そして「ホームズ」は、影の世界の物語だ。主人公二人はどちらも孤独だし、依頼人たちはもれなく困って、弱って、人生の暗い時を生きている。

しかし、影の世界にも冒険があり、笑いがあり、友情がある。

子どもたちの求めるものは、光のあたる教室や運動場にはない。授業中の静かな保健室、何年も使われていない部室、立ち入り禁止の区域、忘れられた飼育小屋。そして、子どもたち自身が主人であり王である、「寮の二人部屋」としての221B。

役者も舞台も、非の打ちどころなく「ちゃんとホームズ」なのだ。

 

三谷幸喜脚本ならではの、温かですっとぼけたユーモアも大好きだ。

個人的に嬉しかったのは、「まだらの紐の冒険」でロイロットにしらをきるホームズが「寒いとね、クロッカスが綺麗に咲くらしいよ」と言うところ。

ここは原作にまったく忠実なのだが、子ども時代の私が声を上げて笑った箇所だ。

私が生まれるずっと前に、ホームズという作品への言及はシャーロッキアーナという学問に昇華されてしまったが、ここは「『緋色の研究』で園芸に興味を持たないと書かれたはずの彼がどうのこうの」ではなく、単純に「ツッコミ待ちだ」と思っている。三谷幸喜に拾ってもらえて嬉しい。

できれば「赤い輪」で新聞広告を探すホームズの「 『日ごとわが心は君を思いこがれ……』何をたわけたことを!」という一人ツッコミも使ってもらいたい。焦って道具を見つけられず、ポケットからガラクタを出してはポイポイ投げるドラえもんにそっくりで、この場面もかなり笑った。

 



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